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TEL:073-453-1515診療時間 9:00~13:00 15:00~19:00 休診日:日曜、祝日

院長のひとりごと

最初から歯石除去をしない理由

初診の患者様で、「今日はお口のクリーニング、歯石を取ってください」と最初から希望される方があります。吉田歯科ではこのご要望にこたえられないことがあります。開業当初は歯石を見つけたら、初診から除去することもありました。しかし、15年前から当院で、歯周内科治療を取り入れてからは先ず、患者様の歯垢を位相差顕微鏡で調べて、歯周病菌がいれば薬で除菌を行い。歯周病菌がお口の中に無い状態にしてから歯石除去を行います。この方法は理にかなっています。それは、お口の中に歯周病菌がいなくなると、あら不思議、歯石除去をしてもあまり血が出ません。歯石を取る歯科衛生士さんも痛みを少なく確実に歯石を取ることができるし、患者さんも血まみれにならず楽に歯石を取ってもらえるのです。近年、お口の中の歯周病菌が血管を通じて、脳や心臓にまで運ばれることが分かってきました。この点から見ても歯周病菌が、お口の中にうじゃうじゃいる状態で歯石を取るのは危険なのです。以上のような理由で吉田歯科では初診では歯石は取りません。除菌も含めて、お口の中の全体を診察させていただいてから後日、歯石除去、クリーニングを時間をかけて丁寧に行います。ご協力、よろしくお願いいたします。

診療スタイル

昭和61年4月に開業して早いもので34年目に入ります。最初は治療のチェアも3台で、順番に来られた患者様を診るというスタイルでした。順番に診るうえ、お一人、お一人の診療時間も大変、長く、3ヶ月もたつと、待ち時間が1時間2時間が当たり前のようになってきていました。これではダメだと、予約制にさせていただきました。当時は虫歯の治療が中心で、詰めて、かぶせて、痛ければ抜いて、入れ歯や、ブリッジという治療スタイルでした。予約制にはしたものの、自分の経験不足から、今なら30分以内にできる治療でも1時間、2時間と費やしていました。しかし15年ほど前から、予防に力を入れ出してから、衛生士さんの力を借り、歯周病予防を徹底的に行うことで、歯の寿命を伸ばせるようになり、患者様の歯に対する意識も変わってまいりました。「歯は全身の健康と密接な関係がある」ということが、周知されてきたのです。できるだけ、待ち時間が少なくなるよう、チェアも5台になり、ケア専用は2台、治療用は2台、あとの1台はどちらもOKです。歯科の医療は日進月歩です。新しい知識や技術、器材が次から次へと開発されています。吉田歯科も色々な面で遅れないよう、最新の技術や器材を取り入れてまいります。そして、患者様により良い歯科治療を提供させて頂きます。ご期待下さい。

12月の活動

・12月5日(木)楠見小学校2年生対象のブラッシング指導

・12月8日(日)レーザー、歯内療法セミナー受講(新大阪)

12月の活動

・12月5日(木)楠見小学校2年生にブラッシング指導

・12月8日(日)半導体レーザー、歯内療法セミナー受講(新大阪)

日本歯科東洋医学会学術大会

第37回日本歯科東洋医学会学術大会が10月5日(土)・10月6日(日)に広島県歯科医師会館にて開催されました。私が東洋医学を学び始めて30年以上たちます。毎年、この学会に出席し、最新の東洋医学の情報、知識を得ています。本年も高齢者社会の中での歯科口腔疾患の病態と漢方薬診療の留意点や、歯科領域における漢方方剤の活用法など、たくさんの知識を得られました。この学会で学んだ治療メッソドを日常診療に生かし、患者様の苦痛を少しでも和らげたいと思います。

近畿デンタルショー

4月14日(日)KINKI DENTAL SHOW2019に行ってきました。この催しは現在の日本の歯科治療の最先端の歯科材料や歯科機器などソフト、ハードを網羅した内容で、トップメーカーが140社以上大阪に集結する大イベントです。1日で各メーカー全てを回る事は不可能なので、私は最初から見たい物を絞って、終日情報を集めて回りました。 途中、テーブルクリニックで、「歯内治療」のセミナーも受講しました。明日からの患者様の治療に役立つ情報を沢山得ることができた充実した1日でした。

スーパーホワイトニングセミナー

現在、当院はデュアルホワイトニングを行っています。今の方法でも相当白くなるのですが、若干の知覚過敏が出たりすることがあり、神経をとった歯や生まれながらの着色歯にはほとんど効果が得られない事が多かった。しかし、このスーパーホワイトニングの方法は歯を白くするだけでなく、歯質の強化、歯周病の改善にも効果があり、知覚過敏も皆無に近い画期的な方法で、まさに一石三鳥のホワイトニング法といっても良いと思います。当院も今年の5月、6月をめどに導入いたしますので、乞うご期待!!

wipa 勉強会

2月16日(土)白浜にて今年度のwipa 総会と学術講演会が行われた。講師には近畿大学医学部歯科口腔外科教授の濱田 傑先生をお招きし、「口腔インプラント治療を行う上で必要な基礎知識」という演題で講演していただいた。前半はインプラントを行う上での全身疾患との関係や注意点、感染予防対策、抗菌薬の効果的な使い方などのお話を、後半はご専門の顎関節症について解説していただいた。私たち開業医にとって、明日からの臨床に役立つ最新情報ばかりで大変有意義なご講演でした。

12月の活動

12月6日(木)北保健所3歳児検診出務

12月9日(日)口腔外科(顎関節症・麻酔)セミナー受講

12月13日(木)楠見小学校健康指導(2年生)

11月の活動

  • 11月15日(木)楠見小学校秋季歯科検診
  • 11月17日(土)市歯科医師会学術講演会
  • 11月23日(祝)街角歯科検診出務

10月の活動

  • 10月4日(木)楠見小学校歯科検診
  • 10月5日(金)公衆衛生委員会
  • 10月20日(土)21日(日)日本歯科東洋医学会

レーザー講演会

9月2日(日)大阪で、オペレーザーユーザー会が開かれた。当院では20年前から、レーザー治療を行っていますが、今回の講演は、炭酸ガスレーザーの最先端治療を行っている4名の先生方がお話された。レーザーの最新の治療法や4月から保険導入された炭酸ガスレーザーの算定上の注意点を学ぶことができた。明日からの日常臨床への応用がさらに広がる有意義な講演だった。

顎関節症セミナー

6月3日(日)、新大阪で顎関節症治療セミナーを受講した。講師は西村育郎先生で独自の治療法で成果をあげ、年間400百症例を超える名歯科医師である。当院も西村式を2年前から取り入れ、着々と実績を上げている。以前、学んだ方法でも十分、効果があるが、西村式は日々進化しているようで、マウスピースの作り方や治療における勘所など、最新情報を得ることができ、顎関節症の治療に益々自信がもてる内容で、充実した1日であった。

5月の活動

5月13日(日) CT読影講習会(新大阪)

5月19日(土) 岐阜歯科大学・朝日大学和歌山県支部総会

4月の活動

4月8日(日) 学校歯科医 認定講習会

4月13日(金) 和歌山市歯科医師会公衆衛生委員会

4月20日(金) シンアツシン(東京・コノコ)来院

和歌山県学術講演会

3月4日(日)和歌山県歯科医師会館で第6回学術講演会が開催された。午前の部は大阪大学の村上伸也教授が「歯周組織再生材りグロス誕生ーその薬理作用と使用法について」午後の部は東京医科歯科大学の臨床教授で東京都開業の谷田部 優先生が「ノンメタルクラスプデンチャー」-「こうする」より「こうしない」を学ぶと題して講演された。歯周病の再生療法と新世代の入れ歯の演題で、どちらも臨床に直結したお話で大変、有意義な時間でした。明日からの臨床に生かしていきたいと思います。

2月の活動

2月3日(土) 朝日大学和歌山県支部新年会出席。

2月4日(日)AQBインプラント講演会受講。

2月17日(土)和歌山臨床インプラント協会講演会出席。

11月の活動

11月18日、19日、母校の大学の創立40週年記念祝賀会に出席するため岐阜へ出かけました。式典参加後、同期生と旧交を温めました。11月23日(木)は午後から市役所前で行われた「街角歯科健診」に午後から出務しました。当日は強風で、テントが飛ばされそうになりましたが、200名以上の人が訪れてくれました。26日(日)は大阪市内で行なわれた大学の学術セミナー「高齢者に侵襲の少ない補綴治療と義歯製作のポイント」に副院長と医長とともに3人で参加しました。

長谷ますみセミナー

10月7日(土)午後2時から当院に歯科衛生士の長谷ますみ先生を講師としてお迎えし「SRPのテクニカルベーシック2日間コース」の第1日目を歯科衛生士5名と歯科医師2名の計7名にて受講しました。この日の内容は①シャープニングの理論と実習②SRPの基礎、グレーシーキュレットの特徴と基本操作の講義と実習でした。エッジをきちんと感じて正確なストロークを行うトレーニングと講義に参加者は長谷先生の技術を少しでも習得しようと目を輝かせ、熱心に実習に取り組みました。気がつくと5時間があっという間に過ぎていました。第2日目は10月28日(土)に顎模型を使った実践的な実習です。スタッフ全員、さらなる技術のレベルアップを目指して研鑽を積んでまいります。

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飯沼教授講演会

平成29年度の大学同窓会和歌山県支部の学術講演会が9月9日(土)、和歌山県歯科医師会館にて午後2時30分より、本学小児歯科学講座の飯沼光生先生をお招きして行われました。演題は「小児期の口腔外傷と全身への影響」で、乳用時期や学童における歯牙の外傷、脱臼、破折などの診断と処置、また、それに伴う全身への影響。口腔外傷を予防するために有効なマウスガードについても製作法や調整法を詳しく解説していただきました。この他、歯科でわかる虐待、低フォスファターゼ症などの最新情報も教えていただきました。明日から、臨床に活かせる有意義な内容で、あっと言う間の3時間でした。講演の後は席を市内のホテルに移して飯沼先生囲んで懇親会を行いました。先生と同期の5期生も4人参加。昔話に花が咲き、和気あいあいのうちにお開きとなりました。

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        5期生集合             

最近の診療

以前は月曜から土曜日まで、全日、私ひとりで診療していましたが、今は月曜日と金曜日の2日間を長女(のりこ先生)、水曜日と木曜日を長男(ヒロシ先生)に手伝ってもらっています。のりこ先生は今も大阪歯科大学小児歯科学講座に籍をおいています。ヒロシ先生は大阪歯科大学の保存科(歯内療法)で研修を積み現在は大阪市内で勤務しております。専門分野は違いますが、二人共、臨床経験は豊富です。歯科医師二人体制だと、急に来院された患者様の治療やインプラントや親知らずの難抜歯など長時間かかる治療にも余裕を持って対応できるので、大変助かっています。二人の先生にはこれからも研鑽を重ねてもらい、さらなるレベルアップを期待しています。

鹿児島セミナー参加

5月18日(日)鹿児島大学医学部 鶴陵会館にて第7回オーラルプラセンタ医学研究会セミナーが開催されました。当院では3年前よりプラセンタ療法を歯科の治療に取り入れており、難治性の歯周病に効果を上げております。 先ず、最初は大阪歯科大学細菌學講座教授の王 宝禮先生が「口腔内疾患へのプラセンタ療法の可能性」という演題で講演されました。さまざまな実験データを提示されプラセンタの歯科疾患に対する有効性がよくわかりました。次に早くからプラセンタを歯科医療に取り入れられている福岡県開業の廣田 建先生と兵庫県開業の杉本圭介先生の臨床例を見せていただきました。廣田先生はご専門の細菌學の観点から歯科医療への有用性や患者様への説明の方法、杉本先生は口腔外科専門医のお立場から、外科処置や口腔内粘膜疾患への著効例などを解説されました。何にでも効くという魔法の療法ではありませんが、3人の先生のお話からプラセンタ療法は歯周病、口内炎、ドライマウス、舌痛症、舌炎、口臭、味覚傷害、手術後の創傷治癒促進、顎関節症の改善に有効な手段だという事をあらためて知ることができた有意義なセミナーでした。

円歌師匠との思い出

4月23日(日)昭和の爆笑王、三遊亭円歌師匠がお亡くなりになりました。私が落語を好きになったきっかけは、円歌師匠の『授業中』という落語を聞いてからです。初めて、お会いしたのは、もう25年くらい前になるでしょうか、東京の小山悠子先生の学位授与祝賀会でした。写真はその時のものです。それから、ご縁でしょうか、日本歯科東洋医学会の二代目会長、福岡 明先生の喜寿のお祝いが熱海で開かれた時、余興で上方落語の『犬の目』を円歌師匠の目の前でやらせていただきました。今から考えてみると下手な落語をよく聞いてくれたなと思います。司会の方が「師匠、今の落語はどうでしたか?」と尋ねるとハギレの良い江戸っ子口調で「まあまだな」と、お気遣いの言葉、今も忘れません。本当にお優しい師匠でした。最後にお顔を拝見したのは昨年3月帝国ホテルで行われた「サンデンタルクリニック設立35周年記念式典」でした。まだまだお元気そうだったのに・・・ 残念です。心よりご冥福をお祈りいたします。

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唾液検査をデジタル化

4月23日(日)新大阪で「SMTで唾液検査をデジタル化!」~魅力ある歯科医院作りを目指して~と題してライオン株式会社が開発した5分で測定できる唾液検査『SMT』を使った診療フローへの組み込み、セルフケア提案型歯科医院作りについて学びました。今までアナログで、煩雑だった唾液検査が「ここまで進化してのか」と驚かされた。

近畿デンタルショー

4月9日(日)大阪ATCホールで開催された近畿デンタルショーに行ってきました。この催しは近畿で最大級の歯科の展示会で、日本の主な歯科関連の企業が140社以上参加しています。歯科の材料、機材などは日進月歩で、私が歯科医師になった30年前とは格段の進歩が見られます。毎年、私は新しい情報を得られるこの展示会には必ず出席し、セミナーや、企業の方々とのお話を通して新機材を導入し、患者様の治療に取り入れてまいりました。この日も朝早くから、目当ての企業をまわり、1時間のテーブルセミナーを二つ受講し最終の4時まで、充実した時間を過ごすことができました。

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第34回日本歯科東洋医学会・学術大会

本年の日本歯科東洋医学会は平成28年12月23日(金)24日(土)25日(日)の3日間仙台の東北大学で開催された。本年は都合により日本統合医療学会と併設となり、この時期になったのだ。統合医療とは「対症療法」を中心とする西洋医学と人間の心身全体を診る「原因療法」を中心とした伝統医学や民間医療、代替医療などさまざまな医療を融合し、患者中心の医療を行うものです。日本歯科東洋医学会も東洋医学を歯科医療に応用しているまさに統合医療なのです。今回の学会は医師はもちろん、さまざまな分野の医療従事者の皆様のお話が聞くことができた有意義な学会だった。

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忘年会

12月10日(土)、午後6時30分から市内の焼肉店で、吉田歯科医院の忘年会を行いました。院長の挨拶のあと、今年から入った新人の一言、そして、歯科衛生士を代表して倉崎さんの乾杯の発声で、宴会がスタートしました。美味しいお肉を食べ、今年度を振り返りながら、各テーブルで、話が弾みました。二次会はいつものカラオケで盛り上がり、午後11時過ぎにお開きとなりました。

大学の実習指導

10月20日(木)、今年2回目の母校の歯学部の実習指導に岐阜まで出かけた。若い学生たちと触れ合うことでフレッシュな気分になり、教授や研究、治療に打ち込む教室員との会話から、最新の情報や治療法など学ぶことも多い。私にとって、貴重な時間である。

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還暦祝い

7月2日(土)、和歌山市内の割烹店で娘夫婦、息子が私の「還暦祝い」の会を開いてくれ、家族全員に祝ってもらいました。赤い帽子とちゃんちゃんこは、さすがに少し照れくさかったですが・・・30歳の時に開業し、もう30年も経ったんだなーと思うと感慨深いものがあります。波はありましたが、ここまで大過なくやってこれました。家族の力もさることながら、私を信頼してくださり、通っていただいた患者様の支えがあったればこそ30周年を迎える事ができたのだと思います。今後とも精進してまいりますので、吉田歯科を何卒、ご指導、ご鞭撻の程よろしくお願いいたします。

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新メンバー加入

5月から受付に北野さんと松下さんが新たに加わりました。また歯科衛生士の勝本さんも手伝っていただくことになりました。患者様のために全力で仕事に取り組んでいただいております。皆様、何卒よろしくお願いいたします。

糖尿病予防教室

2月4日(木)「河北コミュニティセンター」において和歌山市西保健センター主催の糖尿病予防教室が開催されました。今回、私は「糖尿病と歯周病」という演題で講演させて頂きました。 近年、歯周病は様々な全身疾患と関わっていることがわかっています。殊に糖尿病に罹患している人は歯周病罹患率も高く、歯周病菌が血液を介して糖尿病を悪化させる事も証明されています。この講演では歯周病の病態と歯周病と糖尿病の関係、歯周病が糖尿病を悪化させるメカニズムをお話しました。

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楠見小学校歯科保健指導

12月3日(木)楠見小学校の2年生の皆さんに、腹話術人形のケンちゃんと一緒に、歯科の保健指導を行いました。前半はケンちゃんと「よく噛むことは全身を健康にする」というお話を後半は歯科衛生士の倉崎さおりさんがブラッシング指導を行いました。69名の子どもたちは目を輝かせ熱心にお話を聞いてくれ、あっと言う間の1時間でした。

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安部倍先生、来和

11月5日(木)、香川県から大学の同期である安部嘉門先生が、奥様とスタッフ2名と共に見学に来られました。安部先生は香川県で二つの診療所を運営されています。わたくし共の医院の予防の形態に興味をもたれ、「是非、見学したい」ということで、今回の訪問に至りました。2名の歯科衛生士さんは、予防処置の流れや、歯周処置を熱心にご覧になり、先生と奥様は、改装した当院の設計デザインや設備機器などを私やスタッフに盛んに質問されておりました。皆さん、お疲れさまでした。私も機会があれば、安部先生の診療所を是非、見学したいと思います。

飯沼光生教授就任祝賀会

8月30日(日)岐阜都ホテルにて、大学の同期の飯沼光生先生の教授就任祝賀会が開催されました。学生時代から、飯沼先生は学年総代を務める成績優秀で、性格温厚かつ、誰からも好かれる好人物で、大学では、研究はもちろん、学生教育にも尽力し、この度、教授に推挙されたのです。私はクラスは違いましたが、卒業後もずっと交流があり、娘が歯学部へ入学してからも色々アドバイスをいただきました。この日は、全国から飯沼先生の門出を祝おうとたくさんの同期生が駆けつけ、温かく盛大な会となりました。

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教授就任を祝う会

5月3日(日)「ホテルグランヴィア和歌山」において、私の弟である吉田浩二の近畿大学生物理工学部教授就任を祝う会を近しい親族のみで行った。弟は元々内科医であるが、近畿大学医学部の大学院で生化学を専攻し以来、医学部で25年間、研究者と学生教育の道を歩んできた。その功績を認められ、教授に推挙されたのだ。この度の就任は兄として大変うれしく、誇らしい気持ちで一杯だ。生まれ故郷の和歌山の地で、教授の名に恥じないような、素晴らしい働きを期待している。頑張れ!浩二。

 

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和歌山シャンソン教室発表会

4月26日(日)、和歌山市民会館小ホールで『第21回和歌山シャンソン教室発表会』が行われました。この発表会はプロのシャンソン歌手、橋本佳代先生が主宰するシャンソン教室で学ぶ生徒さん23名が日頃の練習の成果を発表するのです。私は腹話術のゲストとして出演させていただきました。大きな舞台は半年ぶりなので、緊張しましたが、同業の大先輩、有本隆行先生が生徒さんの一人として参加されていて、控え室で、初対面にもかかわらず、親しくお話ししていただき、優しいお人柄に触れ、大分、緊張が和らぎました。23名の歌手の皆様、それぞれ個性的で舞台袖で私も、うっとりと聞かせていただきました。

近畿デンタルショー2015

大阪ATCホールで近畿デンタルショー2015が4月11(土)12日(日)に開催された。この催しは7000㎡のフロアーに数多くの会社が出展し、現在、日本の最先端の歯科医療器、材料等を情報発信するのだ。私は12日の朝早くから参加。二つのテーブルクリニックを受講し、根管治療の実習にも積極的に参加した。そして、目標のメーカーのブースを終了の午後4時まで、できる限り回った。今回も最新の歯科医療の情報を得ることができた。有意義な1日であった。

楠見小学校「歯の健康指導」

2月19日(木)、楠見小学校で4年生の皆さんに「歯は健康の源」という演題で講演させていただきました。9歳から10歳くらいのお子様は混合歯列期と言って乳歯と永久歯が混在しています。ムシ歯のリスクも高くなりつつある年齢です。講演ではムシ歯の原因や内科的疾患との関わり、予防のための食事の摂リ方やフッ素による歯質の強化の方法などを解説しました。生徒の皆さんは熱心に耳を傾けてくれました。今回のお話しした事を実践し、健康な歯でよく噛んで健康な体を作ってくれることを願っています。

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楠見小学校健康指導

12月11日(木)、楠見小学校2年生の皆さんに、健康指導を行いました。これは10年以上続く恒例行事となっています。前半は人形のケンちゃんと一緒に「噛むことは健康の源」であるというお話を、後半は歯科衛生士さんによるブラッシング指導を行いました。子どもたちは、全員目を輝かせて一生懸命、聞いていくれました。

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日本歯科東洋医学会に出席

第32回日本歯科東洋医学会が11月8日~9日に岐阜市の「じゅうろくプラザ」で開催されました。私は28年の会員歴で、現在は理事の末席を汚しております。東洋医学は大変、歯科治療に有効で吉田歯科では、西洋医学で対処できない諸症状に使用しています。今年も漢方を始め、東洋医学の臨床応用に関する数多くの研究発表が行われました。今回、得た知識を明日からの患者様の治療に役立ててまいります。

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                                          大学の先輩、丸尾謙二先生と

学術講演会

9月20日(土)、和歌山県歯科医師会館にて、平成26年度朝日大学和歌山県支部主催の学術講演会が開催されました。講師に同窓の5期生、朝日大学歯学部口腔病態医療学講座障害者歯科分野・教授、玄 景華先生をお招きし「歯科医療における高齢者とのかかわり方」という演題でご講演いただきました。本格的な高齢者社会を迎えて、地域社会でも要介護高齢者を取り巻く環境に大きな問題を抱えています。歯科医療の現場でも在宅訪問診療を中心に要介護高齢者の口腔ケア、嚥下リハビリテーションへの要望が高くなっています。今回は高齢者を治療する際の注意点や有病者や認知症のある方へのかかわり方などを解説していただき、在宅訪問診療のノウハウや口腔ケアの考え方や実践方法についても教えていただきました。明日から役立つ実践的な内容で、大変勉強になりました。

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講演会                                                                同期生(5期)が玄先生を囲んで

後輩の応援に

8月2日、3日とbodymakerコロシアム(大阪府立体育館)にて第46回全日本歯科学生総合体育大会日本拳法部門が開催された。我が母校の朝日大学(旧岐阜歯科大学)日本拳法部も部員7名の少数精鋭で参加した。私は3日の早朝より応援に駆けつけ、対日大戦を観戦することができた。結果は辛勝。入賞はならなかったが後輩たちよ、よくやった!

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歯の健康展

6月7日(土)6月8日(日)、パームシティ和歌山店で、毎年恒例の「歯の健康展」が開催されました。このイベントは和歌山市、和歌山市教育委員会、和歌山市歯科医師会の主催で、市民の皆さんの歯と口腔の健康に対する啓蒙や和歌山市の小、中学生から募集した歯の絵画、標語、詩の入選作品の展示などを行います。私は歯の健診の担当で7日(土)午後、出務いたしました。

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フッ素の勉強会

5月25日(日)プラザホープにて岡山県開業の黒瀬真由美先生を講師にお招きし、「院内におけるフッ化物の応用」という演題で講演会が開催されました。診療室においていかにフッ素を応用して、ムシ歯予防をし、患者様の健康管理をしていくのかということを、フッ素の基礎から応用、またご自身の症例も交えながら、具体的にわかりやすくお話していただきました。当院はフッ素を予防に取り入れ10年になりますが、黒瀬先生のお話をお聞きし、改めてフッ素のう蝕抑制効果を確信し、さらに積極的に使っていこうと思いました。

朝日大学歯学部同窓会和歌山県人会 第32回定期総会

5月17日(土)午後3時30分からホテルグランヴィア和歌山で朝日大学歯学部同窓会和歌山県人会 第32回定期総会が開催されました。岐阜歯科大学の時代より来年で我が母校も創立40周年を迎えます。和歌山県支部も130名以上の大所帯になりました。年に一度のこの総会は県下より同窓生が集い、会務報告や事業案や予算案を審議、決定する重要な会合です。会議終了後の懇親会ではは和歌山県歯科医師会や大学同窓会からの来賓を迎え、和気あいあいと会員相互の親睦を深めました。

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歯のお話

2月27日(木)、楠見小学校で、4年生の皆さんを対象に「歯は健康の源」という演題でお話をさせていただきました。4年生は混合歯列と言って乳歯と永久歯が混在する時期で、むし歯のリスクも高くなってきます。講義ではむし歯の原因や内科的疾患との関わり、予防のためのおやつの取り方の工夫や歯磨きの方法、フッ素による歯質強化の方法など解説いたしました。生徒の皆さんは1時間のお話を熱心に聞いてくれました、この後、校長先生、養護教諭や担当の先生を交え「学校保健委員会」が開催されました。楠見小学校の歯科検診の結果や治療状況をお聞きし、フッ化物洗口や学校歯科の諸問題について学校歯科医として、ご質問にお答えしました。

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健康セミナー

2月20日(木)河西コミュニティセンターで和歌山西保健センターの健康教室「笑う門には健康来たる」 ~すてきな笑顔はお口から~が開かれました。私は今回、講師を務めさせていただきました。歯周病の原因、初期から終末期までの変化、全身疾患との関係、最新の治療法を解説させていただきました。また後半は歯科衛生士さんによるブラッシング指導も行われました。この健康教室で、一生涯、食事を楽しみ、会話を楽しみ、豊かな表情を保つためには、自分の歯を守ることが重要だと感じていただけたと思います。

新年のご挨拶

新年、明けましておめでとうございます。皆様方におかれましても新たな気持ちで新春を迎えられたことと存じます。吉田歯科医院も早いもので、今年で28周年になります。ここまでやってこられたのも患者様や地域の皆様のお蔭だと感謝しております。昨年は、高齢化社会に先がけ、モニタリング装置や、最新のインプラント埋入機器を導入いたしました。 吉田歯科は日々進化しており、患者様のために最先端の機器や治療法を取り入れていく姿勢は、これからも貫いてまいります。今年もご指導、ご鞭撻のほどよろしくお願いいたします。

街角歯科健診

11月24日(日)に和歌山城砂の丸広場で「食祭wakayama2013」が西の丸広場では「wbs和歌山放送ラジオまつり」が開催されました。そんな、お祭りの中、私たち和歌山市歯科医師会は西の丸広場でテント三張りのブースをお借りして「街角歯科健診8020」を行いました。私は午前の部の歯科検診を担当しました。この他、フッ化物塗布やブラッシング指導、口腔内カメラ、唾液潜血反応検査なども行い、総合的な“歯科健診”で市民に歯科受診の大切さをアピールし、200名以上の来場者で賑わいました。

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日本拳法部OB会

11月23日(土)、新大阪ワシントンホテルプラザで朝日大学(旧・岐阜歯科大学)日本拳法部OB会が開催されました。私は5期ですが、一番若いOBとは30年の歳の差があります。月日のたつのは早いものです。全国から日本拳法部を愛する仲間たちが集まり、近況報告や昔話で盛り上がり楽しいひと時を過ごしました。

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日本歯科東洋医学会総会・学術大会

11月15日(金)~17日(日)、日本歯科東洋医学会が大阪歯科大学創立100周年記念館で開催されました。私はこの学会に入り27年になります。東洋医学は西洋医学では対処できない歯科疾患に大変、有効です。毎年参加するたびに新しい処方や知識を修得し、日々の診療に取り入れております。今年の大会は「時期到来」というメインテーマで、特別講演、教育講演、シンポジウムをはじめ、ワークショップ、市民講座と多彩なメニューで、多くの歯科医師が全国から集い、盛大で充実した学会でした。私はスタッフとして前夜祭の司会とポスター発表の座長を務めさせていただきました。

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                                                                                  実行委員長の久保先生と

歯周病原因菌DNA検査セミナー

今日、9月8日(日)新大阪で、歯周病原因菌DNA検査セミナーを受講しました。吉田歯科では、21世紀の最新治療である歯周内科治療を全国に先駆けて、和歌山で、いち早くとりいれて、1200名以上の患者様の歯周病を治療、改善してまいりましたが、ごくわずかでありますが、難治性の歯周病が、存在するのも事実です。そこで登場したのが「リアルタイムPCR法検査」です。この検査は歯周ポケットの中の特定の部分に歯周病菌が何匹いるのかを調べることができる画期的なものです。当院では歯周病ゼロをめざして、この検査法を将来的に歯周病治療の柱として組み込む予定です。

学術講演会

8月3日(土)和歌山県歯科医師会にて平成25年朝日大学歯学部和歌山県人会・学術講演会が開催されました。講師に大阪歯科大学大学院講師、稲村吉高先生をお招きし 「歯科医院における全身管理と緊急時の対応」という演題でご講演いただきました。高齢者時代を迎え、有病者の方の来院が増えております。稲村先生は今日の命題である医療の安全のため、モニタリングがいかに重要かをわかりやすく解説してくれました。また、緊急時の対応や、薬剤の使い方など、明日から臨床に役立つ貴重なお話ばかりでした。

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パソコン設定

今日は朝から、高校の同級生、山本雅信君にipadの設定をしてもらった。山本君はNTTに勤務しているパソコンの専門家で、困った時にはいつも助けてもらっている。たまにしか会えないが、気の置けない頼れる親友である。

山本君と

長女が学会発表

5月23日(木)、第51回日本小児歯科学会が岐阜国際会議場において開催されました。長女が初めて全国大会でポスター発表を行いました。私はたまたま岐阜の母校に出張していたので、急遽、会場に駆けつけました。娘が勤務している大阪歯科大学小児歯科学教室の有田先生(教授)やスタッフの皆様のご協力のお蔭で、無事、発表を終えることができました。親としてホッとしました。ご指導ありがとうございました。

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弟がお祝いに

今日、日曜、大阪から弟が長男の歯科医師国試合格のお祝いに来てくれた。弟は今、近畿大学医学部生化学教室の准教授を務めている。車を飛ばして、和歌山へ来てくれたのだ。長男に臨床の面白さや社会人としての心得などを熱く語ってくれた。          

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近畿デンタルショー

4月7日(日)大阪状ホールで行われた近畿デンタルショーに行きました。この催しは関西最大級の歯科の展示会で、日本の主な歯科関連の企業110社以上が参加しています。現在の歯科界における最新の歯科器材が多数展示されており、私は朝早くから、見たい企業を五つくらいにしぼり、回りました。また1時間のテーブルクリニックを二つ受講し、午後4時の終了まで、充実した時間を過ごしました。最新の情報をたくさん得ることができ、早速、明日からの臨床に生かし、患者様に提供してまいります。

インプラント講習会

3月17日(日)、梅田でAQBインプラントのアドバンスセミナーに参加しました。私がインプラントを臨床に取り入れてから20年以上たちます。今、当院で使っているAQBインプラントは第3世代の純チタンにアパタイトコーティングをほどこした生体組織と極めて親和性の高い材料です。この日のセミナーはどんどん進化している術式や、適応症を拡大するための技術を学びました。講師の杵渕 孝雄先生は豊富な症例を呈示され、成功のための “コツのコツ”を解説してくれました。明日からの臨床に役立つ大変有意義なセミナーでした。

楠見小学校「歯のお話」

2月28日(木)、毎年恒例になりました健康指導「歯のお話」を楠見小学校で、4年生の皆さんを対象に講義をおこないました。4年生は混合歯列といって、永久歯と乳歯が混在している時期で、むし歯のリスクも高くなってきます。講義ではむし歯の原因や、むし歯を防ぐためのおやつのとりかたの工夫や歯磨きの方法、フッ素を使っての歯の質を強化する方法など、「歯が健康の源」という事を解説しました。スライドを使っての50分間でしたが、生徒の皆さんは静かに、熱心にお話を聞いてくれました。

新年のご挨拶

明けまして、おめでとうございます。吉田歯科も早いもので、開院して27年目を迎えることができました。これも、長年、支えていただいた患者様のお蔭です。歯科の世界は日進月歩です。当院も開業以来、毎年、新しい治療法や、機器を導入してまいりました。この、姿勢は今後とも続けてまいります。何卒ご指導、ご鞭撻のほど、よろしくお願い申し上げます。

楠見小学校ブラッシング指導

12月6日(木)、楠見小学校2年生の生徒さんに、ブラッシング指導を行いました。これは10年以上続く恒例の行事になっており、前半は、人形のケンちゃんと噛むことが、全身を健康にするというお話を、後半は歯科衛生士さんによるブラッシング指導を行いました。65名の子ども達は目を輝かせて、お話を聞いてくれました。腹話術という私の趣味が、少しでも子どもに夢を与えたり、教育に役立つことは歯科医師として、これ以上の喜びはありません。

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義父逝去

11月8日(日)、義父の佐藤和男が死去しました。84歳でした。様々な思い出があります。現在、歯科医となった長女が大学合格が決まり、アパートに引っ越す時も長男と二人で、岐阜へ行き精一杯働いてくれました。このように、二人の孫を長年、支え、優しく見守ってくれました。彼らも立派に成長しました。本当にありがとうございました。安らかに眠って下さい。

日本歯科東洋医学会に参加

10月5日、6日、7日、と福岡市で行われた、第30回日本歯科東洋医学会記念学術大会に参加し、最先端の東洋医学的歯科治療の技術や、療法を学んできました。私は理事としての会議に出席したり、ワークショップの座長や懇親会での腹話術披露など、大忙しの3日間でした。

福団冶師匠独演会

9月30日(土)和歌山ホテルグランヴィアにおいて、午後6時より和歌山県歯科医師会の平成24年度の文化事業として、「桂 福団冶独演会」が開催された。                              

出し物は『藪入り』 『一文笛』 の2席。どちらも人情噺の大ネタで、70人以上の落語ファン が集まり、名人芸を堪能した。

福団冶師匠がお祝いに!

7月17日(火)、桂 福団冶師匠が、当院に来られました。師匠はお仕事の合間をぬって、吉田歯科医院のリニューアルのお祝いに来てくれたのです。師匠は私の落語の師で、15年来のお付き合いになります。突然の師匠の訪問に恐縮するとともに、感謝、感激です。

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『歯の健康展』

和歌山市歯科医師会では6月9日(土)・10日(日)の両日パームシティーオークワ和歌山店トイザらス前にて『歯の健康展』が開催されました。私は9日(土)12時~14時まで歯科健診担当で出務いたしました。会場は和歌山市内の小・中学生の むし歯予防ポスター、詩、標語の入賞作品の展示やフッ素塗布、ブラッシング指導、歯の記念撮影などが行われ多くの来場者があり盛況のうちに終了しました。

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リニューアルオープン

新しい吉田歯科医院が出来上がりました。玄関、待合室、受付は、もちろん診療室も全て生まれ変わったのです。診療チェアも最新型を1台増設しました。未来の予防歯科型の医院を目指した設計です。滅菌システムも最新式で、感染対策も万全です。新しい吉田歯科医院のスタートです。

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100周年記念誌編纂慰労会

3月17日(土)午後5時30分~「田舎茶屋 や万志多」で、100周年記念誌編纂慰労会が行われました。これは中谷県歯会長や、執行部の先生方が、辻村実行委員長、山田常務理事を筆頭とする四役、私たち委員5名、県歯事務局の2名、出版社の皆様など記念誌の編纂にかかわった者のためにの慰労会を開いてくれたのです。編纂に当たっては私など、委員の立場で、気軽でしたが、責任者の山田先生のプレッシャーは並大抵ではなかったと思います。また、この日は体調不良で、欠席でしたが、岩井広報委員長も先頭に立ってわれわれ委員を引っ張ってくれました。中谷会長から「立派な100年史を作ってくれて、ありがとう。ご苦労さまでした」というお言葉をいただき、3年越しの苦労が報われました。

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『歯は健康の源』

3月1日(木)、学校歯科医として校医を務める楠見小学校で『歯は健康の源』という演題で、4年生の子どもたちにお話をさせていただきました。この時期は混合歯列期と言われ、乳歯と永久歯が混在し、将来の歯並びに関係してくる重要な時期です。今回お話した内容は虫歯の原因やそれによって引き起こされる弊害、全身病との関係、予防法などです。これから小学校の高学年になってきますと歯周病に罹患する子どもさんも、ちらほら出てまいります。最後に歯周病菌の顕微鏡動画を見せると子どもたちから驚きの声があがりました。丈夫な歯で、健康に、これからの小学校生活を健やか過ごして欲しいと願っています。                                                                                                      

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インプラント研修会

1月28、29日に白浜でWIPA(和歌山インプラント協会)主催の平成23年度の総会・研修会に参加しました。WIPAは和歌山で、もっとも歴史あるインプラントのスタディーグループで、私も所属して20年以上たちます。昨今、インプラントのトラブルがマスコミで報道されておりますが、適応症さえ、誤らなければ、インプラントは良い治療法だと確信しています。私たち会員は患者様にできるだけ適切な治療を提供できるように、一流の講師をお招きし、ご指導を受け、インプラントに限らず歯科治療全般について研鑽を積んでおります。

上方演芸特撰会

1月9日(月)、大阪国立文楽劇場で「上方演芸特撰会」を観賞しました。落語3、浪曲2、漫才1、曲芸1と盛り沢山の内容でした。この舞台の一番の目的は、かつて落語を教えていただいた桂 福団冶師匠の生の舞台を見るためです。師匠は取りで、十八番の「蜆売り」を演じました。この演目を生の舞台で聞くのは初めてでしたが、師匠の“人情噺”の世界に引き込まれ、泣いてしまいました。素晴らしい話芸を堪能した一日でした。

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新年初日恒例の「しころ打ち」で客を招く

日本歯科東洋医学会学術大会

 第29回日本歯科東洋医学会学術大会が11月26日(土)・27日(日)、東京日暮里サニーホールで開催されました。東洋医学は、歯や舌などの口腔内、顎関節を含む顔面領域の西洋医学では対処できない痛みに非常に有効です。私もこの学会に入って25年になり、毎年参加して、新しい知識や情報を診療に取り入れております。今年は大久保満雄日本歯科医師会会長を特別講演の講師としてお招きし、その後、パネリストとして参加していただいたのですが、大久保会長は東洋医学に対して大変よくご理解いただいており、実りある学会となりました。                            

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         大学の同窓・丸尾先輩と                                            

吉田隆一教授 付属病院長ご就任祝賀会

平成23年11月3日(木)、岐阜市「 グランヴェール岐山 」にて、吉田隆一教授の朝日大学歯学部付属病院長、ご就任祝賀会が歯科保存学分野・同門会の主催で行われました。今回は先生のご意向もあり、同じ保存学の教室に所属した“同門”を中心とした慎ましい祝賀会でしたが、吉田先生を慕う、先輩、後輩が全国から、お祝いに駆け付けました。吉田先生は今までの学生教育や研究とともに今回、病院長という重責が加わり、激務になると思います。還暦を迎えたとは思えない若々しい風貌ですが、健康にはくれぐれも留意され、職責を全うされますことを心よりお祈りいたします。  

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姿勢咬合セミナー

10月9日(日)、新大阪で川邊研次先生の「姿勢咬合セミナー」を受講しました。このセミナーは姿勢と咬合の関係から、全身の自然免疫力を向上させることを目的とする医療セミナーです。東洋医学やイメージ療法、運動療法などを歯科治療に応用する画期的な内容で今回で、4回目の受講になります。吉田歯科では『川邊式』を日頃の診療にどんどん取り入れ、患者様に喜んでいただいております。

武田太之先生を偲ぶ会

去る7月3日に御逝去された前FOS会長の武田太之先生を偲ぶ会が9月17日(土)東京の八重洲富士屋ホテルにて午後6時30分から開催されました。当日は全国から会員始め、生前、武田先生と親交のあった皆様が各界から多数、参集されました。小山悠子先生の司会の下、武田先生への献杯で、会は始まりました。各自、持ち寄った写真がスライドに写し出され、それについて提出者がコメントを話すコーナーでは、笑いや歓声が各テーブルで、起こりましたが、中には目頭を押さえる女性もおられました。と言いますのは、映し出される武田先生の写真はすばらしい笑顔ばかりで、豪快な高笑いが今にも聞こえてきそうで、あの元気で、その場をにいるだけで周りを明るくした武田先生が今はもういないと思うと余計に悲しみを誘ったのかもしれません。ひとしきり、武田先生との思い出話に花が咲きました。そして、落合先生のサックス演奏で、「見上げてごらん夜の星を」を合唱しました。最後に奥様、長男の勝之君、長女の美佳さんの涙のご挨拶があり、副会長の木村明美先生が泣いてはおられましたが、しっかりしたお声で、武田先生に言葉を捧げられました。本当に心温まる会で、出席させていただいて良かった。武田先生も天国で喜んで下さっていると思います。  

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玄 景華先生教授就任祝賀会

9月11日(日)、名古屋観光ホテルにて、玄 景華先生の教授就任祝賀会が執り行なわれました。私と同期で、岐阜歯科大学の5期生では初めての教授です。学生時代から真面目で一本、筋の通った男でありました。平成11年、本学の付属病院に「障害者歯科」が開設され、初代の診療科長に就任。自閉症や脳性麻痺、脳血管障害後遺症、循環器疾患や認知症など若年者から、高齢者まで多くの患者様の治療にあたってきました。その数は年々増加し、本学は地域の障害者ネットワークの拠点になっております。玄先生は「障害者歯科」の現場で陣頭指揮にあたるだけでなく、学生教育、論文発表などの実績を積み上げ、教授に推挙されたのです。5期生の連中も全国から50人以上駆け付け、玄先生の門出を祝いました。                                                                                              玄教授就任祝い.jpg

吉田教授講演会

 8月20日(土)和歌山県歯科医師会館に於て朝日大学歯学部・教授の吉田隆一先生が「根気・勇気・やる気のエンド」という演題で講演されました。難治症例への対応や、超音波を用いたコアの除去法など、日頃、忘れがちな日常臨床における歯内療法の勘所を動画も交えたわかりやすい解説で、私たち開業医にとって、明日から使えるうれしい内容でした。 2時間30分の講演時間の予定でしたが、講演後の質疑も活発で、予定を大分オーバーしてしまいました。 吉田先生、ありがとうございました。  

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感謝!

開業して、25年目にもなりますと、長いお付き合いの患者さんも増え、ご家族そろって、来ていただいている患者さんも多数おられます。そんな中で、昔から来ていただいている福本幸子様はクリスタルカットビーズを使った手芸を趣味にされており、かわいい動物マスコット人形を「飾ってください」と、たびたび持ってきてくださいます。医院の待合室に飾らしていただいておりますが、患者さんに「かわいい」「私も欲しい」と大好評です。 福本様のやさしいお人柄が作品に表れております。愛らしいビーズの人形たちは、来院される患者さんを毎日いやしてくれております。  福本様に感謝!   

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歯科東洋医学会入門講習会

7月24日(日)、日本歯科東洋医学会主催の「入門講習会」が開催された。私は役員なので、毎年、参加するが、講師の河野先生、英保先生、久保先生の講義はすばらしく、私のような、古い会員にも役立つような中身の濃い、わかりやすい内容で、大変勉強になった。

天晴れ「なでしこジャパン」

午前3時に起きて、ワールドカップ女子サッカーーの生放送を観戦した。リードされては追い付き、またリードされては追い付くという、ハラハラドキドキの展開。そして最後はPK戦で勝つというミラクルな勝利。日本に最後まであきらめない勇気を与えてくれた「なでしこ」よ。天晴れ。本当によくやった。感動をありがとう。

偉大な恩人、逝く

7月3日(日)WIPA(和歌山臨床インプラント協会)前会長の武田太之先生がお亡くなりになりました。63歳でした。武田先生とは私が29歳の時、福岡 明先生の講習会で、お会いしてから、25年以上のお付き合いになります。それ以来、学会や、歯科医師会で、いろいろ面倒をみていただきました。さまざまな楽しい思い出が昨日ことのように思い出されます。7月6日(水)が告別式でしたが、平日にもかかわらず、東京を始め、全国から、大勢の方が最後のお別れに来られておりました。先生は患者様や人のために人生を捧げられました。今度こそ、ご自分のためにゆっくり、お休みください。今は空虚な感じで、何もやる気がおこりません。でも、こんな事を言っていると、天国の武田先生に笑われますよね。先生の残された有形、無形の遺徳に報いるよう残りの人生を生きていきたいと思います。武田先生、本当にありがとうございました。

教授の治療

6月30日(木)、朝日大学歯学部付属病院で、歯内療法学講座教授の吉田隆一先生に右下の第二大臼歯の治療を受けました。この歯はマイクロスコープで亀裂が見つかり、保存不可能かと思われましたが、吉田先生の卓越した技術により、抜歯をまぬがれました。感謝!

新しい技術を学ぶセミナー

6月26日(日)、今日は新大阪で、浜松市で、開業されている坪井秀哲先生のセミナーを受講しました。坪井先生は患者さんに安心感と信頼感を持って来院していただくために、たゆまない研鑽、新しい技術の導入と工夫を常に心がけている院長で、学ぶ事がたくさんありました。明日から、使える材料や、手技もたくさん教えていただきました。吉田歯科医院も常に新しい技術を取り入れ患者さんに喜んでいただくよう努力してまいります。

歯の健康展

今年も、和歌山市歯科医師会では6月4日(土)、5日(日)の両日、「パームシティーオークワ和歌山1Fトイザらス前」で『歯の健康展』を開催しました。私は和歌山市の口腔衛生委員として、4日(土)午後2時間、歯科健診を担当させていただきました。市民の口腔衛生に対する関心は年々高まってきており、フッ素塗布やブラッシングコーナーではたくさんの家族連れで賑わい、大盛況のうちに終了しました。

阿部君の近況②

阿部君の近況だが、診療は通常通りの時間に戻ったが、通っていただいていた患者さんが被災された方が多く、亡くなられた方もかなりいて、そのため、来院患者数は極端に少ないとのことだ。しかし、「自分は生かされ、仕事ができるだけ幸せだ」という。ゴールデンウイークはお母さんの、たっての希望で、大きな被害にあったお母さんの故郷、岩手県に車で連れて行く予定だそうだ。阿部君は「俺は大丈夫」と気丈に言うが、私たちは被災された東北地方の皆さんにどんな形で、援助させていただくかを各人で真剣に考えねばならないと思う。

阿部君の近況①

4月8日阿部君からFAXがあった。

「昨夜の地震の被害はありません。ご安心を。岩手県は停電が広く、仕事にならないとのこと。ウチは“開店休業”です。開けられるだけで良しとしよう。仕事になりません。ガスもまだ来てないし、昨日は娘のところで、風呂に入ったから大丈夫」と知らせてくれた。余震はもう頻繁に起こりすぎて慣れっこになったようだ。しかし、7日の余震は震度6で、死人も出た模様。この余震はいつまで続くのだろう。心配だ。                                                                                  

阿部君、診療再開

被災した阿部君だが、診療を再開した。診療時間は夕方までで、短時間だが、とにかく良かった。後はガスがまだ止まっており、お風呂だけ入れないのが不便とのこと。 本人曰く「非難所暮らしの人のことを思えば楽なもの」 家をなくされたり、いまだに行方がわからないご家族をお持ちの方の事を思うと胸が痛む。

友達は無事だった!

東日本巨大地震は東北地方を中心に甚大な被害をもたらした。私の大学時代からの親友、阿部君の診療所が仙台市の若林区にある。こちらから電話しても通じないので、安否を気づかっていた。すると、その夜、仙台から、「家族全員無事」との電話があり一安心した。訪問診療中に地震にあったとのこと。診療所に帰ってみると、3台あるチェアユニットの1台がひっくり返り、物が壊れ、ひどい状態だったようだ。従業員はすぐに自宅に帰したという。停電は続いているようだが、水道はつながっていて、水は確保できているらしい。とにかく無事で良かった。今は「一人でも多くの方が元気で生きていますように」と祈るばかりだ。

『歯のお話』

3月3日(木)、校医を務める楠見小学校で『歯は健康の源』という演題で、4年生の皆さんにお話をさせていただきました。この時期は混合歯列と言われ、乳歯と永久歯が混在し、将来の歯並びに関係してくる重要な時期で、歯周病になりかけの生徒さんもちらほら見られます。お話は、むし歯の原因やそれによって引き起こされる弊害、全身病との関係、予防法などをスライドを使って解説いたしました。これから、5年生、6年生と高学年になり、遅くまで、勉強や夜更かしをすることが多くなってきます。この時期に生活習慣を見直し、夜の間食をやめることが、むし歯予防につながります。最後までに熱心にお話を聞いてくれ、また活発な質問も出て、45分間のお話を終了しました。

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施設訪問

2月6日(日)、和歌山市田尻の「グループホーム・ささゆり」で腹話術をご披露しました。当日は、ここに入所されている方だけでなく、遠路、有田市で入所されている皆さんも駆けつけてくださり、30名以上のお年寄りの前で演じさせていただきました。トークを交えながらの拙い芸にもかかわらず、一生懸命、見てくださり、時に笑い、拍手をしていただき、大変やりやすうございました。エンディングの人形とのディュエット“二人の大阪”まで、あっという間の1時間でした。ここの施設は、アットホームな雰囲気で、職員の皆様の気配りもすばらしく、マイクやスピーカーもぶっつけ本番にもかかわらず準備も万全で、無事終了することができました。ご協力、本当にありがとうございました。

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久しぶりの高座

11月27日(土)、和歌山県腹話術協会創立30周年を記念して「腹話術の祭典」が県民文化会館小ホールで開催された。豪華なゲストが3組出演されたこともあり、会場は立ち見も出るほど超満員の盛況であった。私は高校時代から落語が趣味で、素人名人会にも出場したことを買われて会員で唯一人、落語をやらせていただいた。5年ぶりの高座で、少々緊張したが、なんとかとちらずに演じることができた。演目はこの日のために覚えた「手水廻し」だ。少しは笑っていただけたので、ホッとした。最近はめっきり落語をする機会が少なくなったので、演じる場を提供していただいた腹話術協会の皆様に心より感謝いたします。

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日本歯科東洋医学会参加

第28回日本歯科東洋医学会総会・学術大会が11月6日(土)・7日(日)と福島県、郡山の奥羽大学で開催された。私は認定医で、理事の末席を汚しているため、11月5日(金)から参加した。毎年、行われるこの大会は歯科医療に、東洋医学的治療を取り入れている歯科医師の全国大会で、20年以上、前から参加している。今年も盛況で、ユニークな会員発表が多数あり、有意義な2日間であった。

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大学の実習指導

9月30日(木)、毎年、恒例になっている母校の保存学講座の歯内療法の実習に行ってきた。教授は大学時代の恩師の吉田隆一先生で、就任3年目で脂が乗り、教室のスタッフも新進気鋭の歯科医師ばかりだ。私たちOB、十数名の非常勤講師は微力ながら、お手伝いをさせてもらっている。今の歯学部の様子だが、女子が全体の40%を占めている。私が学生だった30年前は10%ちょっとだった。大きく様変わりした。学生気質も、変わったようで、スマートな若者ばかりだ。昔いたような蛮カラ学生は見当たらない。しかし、昔に比べて少し根気が無くなったような気がする。もう少し、良い意味でしつこさがあっても良いように思う。しかし、今の学生は幸せだ。すばらしい設備と環境の下で勉強できる。実習が苦手な者も繰り返し練習することで高度なスキルが身に付けられるのだ。後輩のため、少しでも役に立てれば幸いである。                                

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⑳趣味との付き合い

 やっと名人賞を獲ることができましたが、4回にも及ぶ挑戦は苦痛でもありました。しかし、良い事もやってきました。例えば、母校の大学から「笑いと健康」というテーマで市民公開講座の講師を任されたり、保健所から講演をたびたび依頼されるようになりました。なかなか人前で話す機会が少ない開業医にとって良い経験になりました。「好きこそ物の上手なれ」という言葉がありますが最初、好きで始めた事がテレビ出演によって、見ていた方の関心を引き、話す場を与えられました。また、落語や腹話術を熱心に練習したお蔭でプロの芸人さんと同じ舞台に立てたり、親しくお話する機会に恵まれましたが、「自分はアマチュアで良かった」というのが実感です。芸で生計を立てるプロの厳しさを垣間見たからです。脚光を浴びている芸人さんは、ごく一部で、大部分は不安定な暮らしをしているのが現実です。現在、落語はとんと演じる機会がなくなり、CDやDVDの鑑賞ばかりです。就寝時には必ず落語のCDを聞くのが日課になっています。今は、11月27日(土)の「腹話術の祭典」でネタ下ろしする「手水廻し」を稽古中です。久々の高座なので、不安もありますが楽しみです。また、たまに「天満天神繁昌亭」にも行きます。若手からベテランまでの上方落語を堪能できるので、いつも満席状態です。腹話術の方は毎年、校医を務める楠見小学校の「ブラッシング指導」で役立っています。普通なら退屈な時間も人形の“ケンちゃん”とのやりとりを目を輝かせて一生懸命聞いてくれます。帰り際に「ケンちゃん、また来てね」と、名残惜しそうに付いてくる子もいるくらいです。コンテストへの挑戦はもう終わりました。これからは自己満足で良いから、もっと肩の力を抜いてやることにしようと思います。自分が楽しんで、且つ見ている皆さんに少しでも喜んでいただけたら本望です。今回をもちまして、私の趣味のお話を終わらせていただきます。20回にわたり、お付き合いいただき有難うございました。

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⑲さらば素人名人会


名人賞を獲得した反響は大きく、テレビ放送の翌日には友人からのファックスや電話でのお祝い、患者さんからの花束などがたくさん届けられました。それは大変嬉しい事ではありましたが、「やっと、これで一区切りついた」という安堵感と空虚感とが自分を襲っていました。思い起こせば、始まりはPTAでした。PTAの会長を経験し、そこで腹話術と出会い、名人会を獲れなかったので再挑戦のため練習を積んで予選に臨み、当日、声がつぶれたので急遽、落語に変えて予選合格。本選で腹話術より良い評価を受けたものの名人賞には届きませんでした。落語で名人賞を獲ろうとプロの教えを受けたり、何度も生の舞台に足を運んで勉強しました。そのお蔭で数々の芸能人の方とお話できたり、知り合いにもなれました。その中でも浪速座の楽屋で、子供の頃からファンだった夢路いとし・喜味こいし師匠とお話させていただいた事が一番の思い出です。しかし、まさか高校時代から趣味だった落語を40歳を過ぎてから舞台で演じることになろうとは夢にも思いませんでした。この4年間をかけて名人賞へ挑戦を続けたことは自己満足のためだけかもしれませんが、目標を持って頑張る事の重要性を実感しました。(人から見るとくだらない事かもしれませんが・・・)最初、冗談半分にテレビへ出演した事が、次々に思ってもみないところへ自分を動かし、忘れかけていた落語を思い出させてくれました。人生とは面白いものです。この「素人名人会」も私が出場して半年ほどして、時代の流れか、視聴率には勝てず、平成14年3月17日の放送をもって42年間の幕を閉じました。最終回を見て、神野美伽、坂本冬美、田中星児、桂三枝、阪神・巨人、大介・花子、ダウンタウン、MR.マリックなど数々の歌手、芸人さんがアマチュア時代、この番組に出場していた事を知って驚きました。                                         上方の懐かしい味のある名物番組がまた一つ消えてしまったのです。



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⑱名人賞獲得

 舞台そでで、自分の出番を待っていました。プログラムは進行していき、西川きよし師匠から「次は落語です。どうぞ」と声がかかりました。「よし、やるぞ」舞台に進むと例のごとく自己紹介を兼ねた師匠とのやりとり。気持ちがはやっているのか、その時間がいやに長く感じられました。「お馴染みの煮売り屋です、名人賞祈ります」の声でいよいよ本番。「古典落語でございまして、大阪の馬のおうた2人の男。お伊勢参りをしょうやないかと東へ東へとやってまいります。・・・」何百回と繰った出だし。快調、快調。山場の煮売り屋と旅人のやりとり。「おからは、どうじゃな?」「おからは、目が赤なって耳が伸びるからやめとこか」「ごんぼはどうじゃな?」「屁がでるな-」ここで観客から、どっと笑いが起こりました。自分が思ったところで受けたので内心「いけるかも?」と思い、無我夢中でしゃべりました。「いかの木の芽あえ2人前作って」「あかん」「ほたら1人前」「あかん」「ほたら」「あかん」「ええ加減にせえよ、ほたらもあかんのか」キンコンカン、キンコンカンの連打。「名人賞!」と西川師匠が叫びました。高座を下り、メダルを首にかけてもらい、続いて月亭八方師匠の講評。「完璧に覚えているのがすごいが、全体に陰気なので、もう少し陽気にやる方が良い」とのこと。とにかく名人賞を獲ることができて、ほっとしました。舞台裏に戻ると、前のディレクターの和田さんが「おめでとうございます。遂にとりましたな」と笑顔で祝福してくれました。第1回目の予選から見ていてくれた方からの言葉だったので本当に嬉しく思いました。私の素人名人会への挑戦はやっと終わったのです。

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「⑰出番前」

平成13年10月6日。4回目の「素人名人会」の本選、テレビ収録の日がやってきました。最初、面白半分に出場した「名人会」がいつの間にか名人賞を獲る事が目標になり、プレッシャーに変わってきていました.南海電車に揺られながら、会場のNGKまでずっと、ネタを繰り続けました。楽屋で、芸人でもない素人の自分がここに居る事が不思議で、嬉しいような怖いような感覚を、またもや味わっていました。リハーサルに向かうと、ゲスト歌手の城之内早苗の音合わせが行われていました。スラリと背の高い美人歌手で、「いい歌だ」と聞きほれていました。3回歌って城之内嬢は控え室に消えていきました。いよいよ出演者のリハーサル。落語はいつも最後なので、ゆっくり構えていました。慣れとは恐ろしいもので、今までとは違って回りの状況がよく見えるような気がするのです。他の出演者はそわそわしているように見えます。リハーサル後、控え室に戻り本番を待っていると、間もなく「本番です。舞台へお越しください」との知らせ。暗い通路を抜け、緞帳が下りている舞台へ。袖のスチール椅子に腰掛け待ちました。ほどなく西川きよし師匠が現れ、「西川です。今日はよろしくお願いします」と出演者全員に深々と頭を下げました。


⑯最後の挑戦

 落語で3回目の予選を突破した私は色々思案をめぐらしていました。テレビの本番までにネタを仕上げておきたかったのです。予選のままでは芸がありません。そもそも『七度狐』は上方落語の東の旅で大阪から伊勢参りまでの道中の噺の一つ、一部であり、3分のテレビ出演でクライマックスの笑いまでには時間が足りません。そこで『七度狐』の前段の『煮売り屋』を稽古することにしました。この噺は会話の中に笑いが多く、3分の持ち時間にはピッタリと判断したからです。ちょうど桂 南光師匠のビデオがあったので、その中でギャグがある会話の部分を最初にもってくることにしました。自分なりに3分間の噺にまとめ、何度も練習しました。それをビデオに録って、福団冶師匠にも見てもらいました。そうすると、私の癖が判明したのです。それは落語では右、左と向いて登場人物の会話を表現しますが、その癖とは上(かみ)下(しも)どちらを向いてしゃべる時も顔をが上を向いてしまうというもので前座、新人の噺家にはよく見られる欠点だと指摘されました。そして、近くと遠くを見る時の視線の位置を特に注意されました。我流の悲しさか、今まで全く気付いていなっかったのです。師匠のアドバイスは本当にありがたかった。テレビ収録の1週間前の土曜午後、どうしても稽古を付けて欲しかったので、夜に京都で仕事があるという師匠に無理にお願いして、難波のホテルで待ち合わせました。ところがホテルの喫茶店は満員で、仕方なくロビーで稽古を付けてもらうことになりました。野郎2人がブツブツと仕草を付けて何やら話をしているのだから、周りの人にはさぞ、異様な光景に見えたに違いありません。1時間あまり稽古を付けてもらったでしょうか。「大丈夫でっしゃろ」の師匠の最後の言葉を心の支えに本番を迎えることになるのです。

 

⑮最後の予選

 平成12年11月18日、インプラント学会の懇親会に出席した私は旧友と不覚にも遅くまで飲んでしまい、ホテルに帰ったのは午前1時を過ぎていました。普通ならそのまま寝てしまうのですが、相当アルコールが入っているにもかかわらず、目がさえて寝付けませんでした。洗面所の鏡の前で、何度もネタを繰りました。選んだネタは取っておきの「七度狐」、何百回と練習した得意ネタ。これが駄目なら自分の今までの落語が否定されるような恐怖のようなものを感じていました。正に背水の陣です。3時間ほど、うとうとしたでしょうか。ほとんど寝ていないはずなのに6時には目がさめました。早朝、「雷鳥12号」に乗り、一路、大阪の予選会場「難波グランド花月」を目指しました。演芸部門挑戦者は10組。予選は何度も経験済みですが、今回は今までの公開スタジオと違って、体育館のように広く、天井の高いレッスンホールで、テレビカメラの方を向いて演技を行うのです。場所が変わったせいもあり、極度に緊張しているのが自分でもわかりました。「次は吉田さん」と呼ばれ、マイクの前に立ち、「エー、古典落語でございまして、大阪の馬の合うた二人の男。お伊勢参りをしょうやないかと東へ東へとやってまいります。・・・・・・」と夢中でしゃべりました。2,3分たった頃にピンポン♪と合格チャイム。この日の合格は私と漫才の二組。何とか合格できました。「自分が否定されなくて良かった」という安堵感で全身の力が抜けました。こうして強行軍の2日間は無事終わったのでした。

⑭4度目のネタ

 福団冶師匠に個人的に教えていただける約束をもらった私は一安心しました。ただその一方「素人名人会」の4度目の挑戦を考え出していました。最初は思い出になればと、気軽な気持ちでテレビ出演を思い立ったのでしたが、この頃には<何が何でも名人賞を取るのだ> という義務感に変わってきていました。しかし、「素人名人会」の番組自体が毎週放送されていたものが月2回になり、1回の月も出てくるようになりました。「ひょっとしたら番組が中止になるかも?」という心配もでてきました。さて、4度目のネタは何が良いだろう?今までは、とにかく3分間で出来るだけ笑いがある方が良いと考えて、ギャグがたくさんあるものをと新ネタを覚えてチャレンジしてきましたが、今度は自分の一番話し慣れた噺を選ぶことにしました。『七度狐』です。この噺には思い入れがありました。高校1年生の時、生まれて初めて落語のレコードを買い、最初に覚えたのがこの噺で、人前で演じたのは二、三度でしたが何百回と繰った落語でした。これでだめだったら仕方ないというとっておきのものです。そして、4度目のハガキを出して予選の連絡を待ちました。返信のハガキが届き、日程を見て愕然としました。平成12年11月19日(日)。この日は福井で行われる近畿・北陸インプラント学会の二日目で、事前登録も既に済ませていました。どうしても会わなければいけない人があり、福井にも行きたかったのです。迷いに迷った末、(18日に福井へ行って、19日の朝早く出れば大阪の予選に間に合う)と考え、どちらも参加する道を選びました。

⑬落語教室終了

 落語教室へ通い始めた私でしたが、自分は本格的な落語を覚えたいと思っているにもかかわらず、教室ではあいも変わらず小咄の練習や雑談で時間が過ぎていきました。そして、一番がっかりしたのは、福団冶師匠の仕事の都合で、ご子息の福若さんが代稽古に来られた時で、どうもいまひとつ熱が入りませんでした。それというのも「犬の目」という落語を教えてくれるのですが、私自身この噺を桂春蝶さんのビデオで知っておりましたので、他の方がやると、どうしても違和感を覚えたのです。6ヶ月通いましたが、結局一つの噺も最後まで通して練習することはできず、消化不良のまま落語教室は終わってしまいました。この半年間は目の使い方や間の取り方など、プロの芸を間近で見ることができ、自分の練習というより観客のような感じで楽しい時間でしたが、当初の目標である「素人名人で名人賞を取るための稽古」には程遠い内容でした。それは仕方のない事で、落語教室に通っている他の皆さんはコンテストに出るのが目標でないのですから、私に合わせて稽古をして欲しいというのが所詮無理な話なわけです。最後まで、自分の希望を師匠に打ち明けられずに終わってしまったのでした。それから一月もたった頃でしょうか、意を決して今までの経緯や「素人名人会」で名人賞を目指していることを伝え、できれば個人的に稽古をつけてもらいたい旨のお手紙を書きました。すぐに師匠から快く稽古をつけていただけるとのお返事がありました。こうして、福団冶師匠との師弟関係が始まっていくのです。

落語教室入門

 カルチャーセンターの「落語教室」での初めての練習日を迎えました。その教室は阪急梅田駅から歩いて7~8分の雑居ビルの3階にありました。ドキドキしながらエレベーターを降り、受付を済ませて教室に向かっていくと、すでに2名の初老の男女が畳に座っておられました。後から40歳くらいの女性が来られて、私を含めて生徒4人。「さみしい教室」でした。各自、自己紹介をすませると、いよいよ福団冶師匠のお話が始まりました。その内容は芸能界の裏話や上方落語界の大師匠連の内輪話など、大変興味深いものばかりでした。そして、落語の稽古は小咄を一つ教えてもらいました。師匠が先ず、お手本で演じ、生徒がそのとおり真似をして悪いところを直してもらうという形式です。あっという間の90分でした。終わったあと、初老のお二人と話す機会がありました。男性の方は税理士さん。女性は美容師さんでした。どちらもお仕事は現役のバリバリで、落語を人前でやれるようになりたいという共通の目標を持たれておりました。すでに1年前から通われているとのことで、この教室での練習法を聞くと、師匠が言ったことを口移しで覚えるという旧態依然とした練習方法をとっていて、テープレコーダーは許されず、メモのみ。「なんと古い」と思いました。こんな方法で落語が上達するのだろうか?と不安を募らせつつ、1日目の稽古を終え、家路に着きました。

師匠を求めて

 素人名人会に落語で2回目の出場を果たしましたが、またもや結果は「名人賞」に届かず「審査員賞」に終わりました。もう少しで名人賞なのに、何かが足りない。審査員の文枝師匠の批評も素人の悲しさか、理解できませんでした。誰か教えてくれる人はいないだろうか?と日々悶々と考えておりました。ある日、夕刊を見ていると、カルチャーセンターの広告記事があり、その中に「落語教室」なるものを見つけました。場所は大阪梅田。練習日は月2回。時刻は土曜日の午後6時。「これなら行ける」と思いました。そして、講師が桂 福団冶師匠。この師匠の名は落語ファンの私はよく知っていました。三代目、桂 春団冶師匠の一番弟子で、若き日、藤本義一の直木賞受賞作「鬼の唄」の映画で、主演をした事や、若手の期待の星として、角座で、桂 枝雀らと同時に襲名披露をした事、上方落語界では人情噺の第一人者である事などです。こんな大師匠が落語を教えてくれるというのです。まるで夢のような話で、渡りに舟とばかり、すぐに電話で申し込みました。落語の基本を教えてもらえば名人賞もとれるに違いないと考えたのです。それと同時にプロの落語家の噺を直に聞くことができるという何かワクワクする気持もありました。さぞ、活気のある教室で、「すぐに落語が上手くなるだろう」という期待に胸をふくらませて、初めての稽古に臨みました。

⑩落語での挑戦

 2回目の素人名人会に落語で出演することになった私は昔、録ったカセットテープやビデオを引っ張り出して、自分なりに研究、練習をして「鉄砲勇介」というネタで、本番に臨みました。結果は「審査員賞」。桂文枝師匠の評価は「きっちり、覚えてはるんですけどね。話に山川を付け過ぎて、云々」 という事で、要は「話に抑揚を付け過ぎなので、もう少し普通に話せ」ということでした。自分としては上出来で、ある程度満足でしたので、もう「素人名人会」は終わりのはずでした。それが、後で「審査員賞は、敢闘賞より上で、もう少しで名人賞の人に出すものなんですよ」とスタッフの方に教えられ、自分の中で「腹話術より落語の方が評価が高い。落語をもう少し練習すれば名人賞をとれるかも?」と次の出演のことを考え始めたのです。再び予選に挑戦できる出し物はないだろうか?どうしたら名人賞を取れるのだろう?最終的に選んだのは短い中にもギャグが沢山ある「色事根問」という噺で、しかも文枝師匠の得意ネタ。「これを、完璧に覚えよう。そうすれば名人賞を取れるだろう」と何回となく文枝師匠のビデオを見て、しぐさや口調を繰り返し稽古し、マスターしたつもりでした。そして、予選も通過し、本戦の結果はまたもや「審査員賞」。とちってもいないし、自分では完璧なはずなのに何故?講評は「のりが悪い」とのことでした。素人の悲しさですね。言っていることが不可解でした。この2回の「審査員賞」で「名人賞」を取りたいという気持ちが益々高まっていったのです。

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⑨初のテレビ出演

「素人名人会」に応募した私は、千里の毎日放送へ予選を受けに行きました。見事?合格し、本選(テレビ放送)に出る資格を得ました。13組中合格3組。ラッキーとしか言いようがありません。テレビに初出場した結果は鐘の連打ならず、「うまいで賞」つまり参加賞をもらっただけの成績でした。患者さんや友人からは「テレビ見ました」「うまかったね」とか「惜しかったね」と慰められましたが、自分自身、この結果に満足がいかず、「何とかもう一度出て名人賞を!」と思い、テレビ初出演から1年もたたないうちに再び予選を受けました。しかし、予選前日、猛練習がたたり声が嗄れてしまい、全く腹話術ができなくなってしまいました。「明日の予選は受けられない」と思い「落語ならできるかも?」と高校時代覚えた「鉄砲勇介」を口ずさんで見ました。ネタがスムーズに出るではありませんか。よし、審査員に無理を言って落語をやらせてもらおうと決めたのです。予選当日、やはり、声は嗄れたままで、審査員の方に森進一のような声で、「練習をやりすぎて、こんな声になってしまいました。腹話術はできませんが、普通に何とか話せます。落語をやらせてもらってよろしいでしょうか?」 と聞いたところ「声を飛ばしてしまったんですね。同じ演芸部門ですから、落語をやっていただいて結構ですよ」とお許しが出ました。これも不思議や不思議、予選合格。2回目のテレビ出演は落語でということになったのです。

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          初めての素人名人会

⑧腹話術協会入会

 30歳の頃、往年の大スター、川上のぼる師匠の舞台を見てから「いつか腹話術をやってみたい」という気持ちがありました。その機会がひょんな事からやってきたのです。平成7年、39歳の時、和歌山市のPTA連合会の副会長をしていた私は、和歌山市民会館で、教育講演会の司会をおおせつかりました。当時の教育委員長の坂口全彦先生の講演を舞台袖で見ていると、先生が途中で腹話術の人形を取り出し、人形との会話を通して、ユーモアたっぷりに子育てのお話をされました。講演も大変素晴らしいものでしたが、私は人形の方に目が引き付けられました。講演後「私も腹話術をやりたい」旨をお話すると「私が会長を務める和歌山腹話術協会に入って、一緒勉強しましょう。歯科医では吉田さんが初めてなので歓迎します」とのお誘いを受けました。渡りに舟とばかり、すぐに入会しました。練習は月1回で、各自演じて先輩会員に直してもらうという形式でした。私は高校時代から集めた落語と漫才のレコードやテープからネタを拾い出し、自分なりにアレンジしてネタを作りました。半年くらいすると人形使いもさまになってきました。そして、入会して1年たつかたたないうちに発表会にも出ました。そこで、新人のわりには上手いとおだてられたのをきっかけに、PTAの集会や宴会の余興で腹話術を披露する機会が増え、皆に喜んでもらい悦にいっていました。豚もおだてりゃ木に登る?ではありませんが「自分の芸はどのくらいのレベルなのだろう。腕試しできる場はないだろうか。一度試したい」という心がもたげてきました。そこで頭に浮かんだのが子供の頃から見ている「素人名人会」だったのです。落語や漫才の出場者は多いが、腹話術はあまり見たことがない。チャンスがあるかも?「これだ」と思い早速、往復ハガキで予選出場を申し込みました。しかし、この衝動的に書いたハガキが後々、大変な苦労になっていくのです。

⑦懐かしい出会い

 大学卒業後、地元の歯科医院で勤めるようになりました。26歳で結婚し、子宝にも恵まれ、平穏な生活を送っていました。記憶は定かではありませんが、30歳の頃、家内と幼い長女と一緒に大阪千日前を歩いていた時、演芸場の「浪速座」の前で足が止まりました。その出演者の看板に懐かしい「川上のぼる」の名前を見つけたのです。その頃、テレビではあまり見かけなくなっておりましたので、「あの腹話術の川上のぼる、まだ活躍していたのか」という驚きとともに「見てみたい」という感情が湧き上がり思わず切符を買っていました。会場に入ると半分くらいの入りでしたが、小さな子供でも舞台が見えるように一番前の席を取りました。何人か芸人さんが出たあと。いよいよ川上のぼるの出番です。内容はハッキリとは覚えていませんが、昔テレビで見た、あの一世を風靡した川上のぼるが目の前で腹話術をやっている感慨というか嬉しさというか、今この場で時間を共有している幸せを感じていました。私の子供は3歳くらいだったと思うのですが、人形がしゃべるのが、よほど面白かったのでしょう。思いっきり手を叩いて、目を輝かせているではありませんか。その姿に気付いた川上師匠は娘に向かって「お嬢ちゃん、応援してくれてありがとう」と人形にしゃべらせてくれました。子供は、またまた拍手、拍手のはしゃぎよう。あっという間のひと時でした。この懐かしい出会いが後々、私を腹話術の世界に引き込むきっかけになっていくのです。

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⑥ぼやきの吉田

 高校生時代、これと言った目標が無いまま過ごした私でしたが,無事大学に合格しました。「何かをやりたい」という体から湧き出るものがありました。残念ながら落研はなく体育会系の『日本拳法部』に入部しました。このスポーツは面、胴、股間ガード、手にはグローブを装着し、殴り、蹴り、投げ合うという、言うなれば防具を着けて空手と柔道をするようなハードなものでした。今、考えると、「あんな事をよくやっていたな」と思うほど過激で危険な武道です。そんな入部して間もない頃、先輩から「今度歓迎コンパをするので、新入生は全員その席でかくし芸を披露してもらう。考えておくように」との話がありました。私が考えた出し物は、その当時、遅咲きながら人気が出だした漫才コンビ「人生幸朗・生恵幸子」のぼやき漫才でした。ネタは高校生の時ラジオから録音したもので、そっくりそのまま暗記して、練習を重ねました。ネタの一部を紹介すると「水前寺清子のヒット曲、365歩のマーチ。これほど皆さんを馬鹿にした唄、おまへんで。1日1歩、3日で3歩、3歩進んで2歩下がる。3日で1歩しか進まんやないかい!!」とか「研ナオコのヒット曲、カモメはカモメ。あたりまえやないかい!!」etc・・・これを私が人生幸朗になりきって肩をゆらしながら「まあ、皆さん聞いてください」とやるのです。部員だけでなく、その場にいる人、皆、腹を抱えて笑っているではありませんか。大受けでした。初めて、観客を笑わせ、喜んでもらうという「恍惚感」を体験した瞬間でした。これをきっかけに、コンパなど、事あるごとに「ぼやき漫才」を披露した私は「ぼやきの吉田」とニックネームを付けられ、大学の卒業式の謝恩会では「大トリ」をつとめるという栄誉?まで獲得したのです。勉学の方は何とか6年で卒業したという感じですが、「日本拳法部」の活動は最後までやり通し参段をいただきました。そして、趣味の世界では「人を笑わせ、喜んでもらう」という楽しみを覚えた充実した6年間の学生生活でした。

 

 

⑤初めて覚えた落語

 高校生になって、中学生時代、あれほど夢中になっていた柔道も半年ほどで、やめてしまいました。かと言って、勉強にも身が入らず、唯一の楽しみが「落語」を聞くことでした。この頃はラジオでも落語の番組がよくありました。それを録音したり、レコードを買って繰り返し聞いていました。何回も聞いていると知らず知らずの内に覚えてしまい、クラスの友人2~3人の前でやっては受けて悦に入っていました。自己満足の世界です。その初めて覚えた落語が桂三枝の「七度狐」という噺です。上方落語では入門者、つまり前座が覚えさせられるネタだそうです。その時はそんな事は知らず、ストーリーが面白そうだということと三枝師匠の口調が自分に合っているように感じて覚えてしまったのです。この他に「善哉公社」 「池田の牛ほめ」も暗唱しておりました。二つ下の弟も落語が好きで、私の買ってきたレコードや、ラジオの落語番組を良く聞いていました。特に桂米朝がお気に入りで、ある時2枚組のLPレコード「桂米朝・上方落語大全集」を買って来た時はびっくりしました。全集は揃える事はできませんでしたが我が家には5集、つまり10枚のLPレコードが残っています。弟は演じることはせず、落語に関する書物や沢山のネタが載っている歴史的な文献などを読むのが好きで、私とは少し落語の楽しみ方が違っていました。今、振り返って見ると、高校時代はエネルギーが有り余っているにもかかわらず、何をして良いのかわからない。けれども何か打ち込むものが欲しい、自分独自のものを何かやりたい、というものが漠然とあったのかもしれません。それが学校の勉強であれば、それにこした事はなかったのですが・・・私の場合、落語を覚え、人に聞いてもらったり、独り言のように呟いている時が唯一、自分だけの世界にひたれる時間だったような気がします。    

④1080分落語会

 昭和46年、私が中学3年生の時、空前絶後の落語会が開催されました。朝日放送が企画した「1080分落語会」です。午前7時から翌日の午前1時まで18時間ぶっ続けで、上方落語協会の噺家が入れ代わり立ち代わり57席の落語を語るという途方も無いものでした。当日、ラジオで生放送をやっていたらしいのですが、私は聞きそびれてしまい、後日、記念の3枚組LPレコードを購入しました。この中には最初の口上と最後の手締めの他、12席の落語が収録されています。その演者とネタは別表の通りです。読者の皆さんには馴染みのない名前が一人あると思います。橘ノ円都です。当時の最長老で持ちネタの多さも随一で、上方落語界の影の功労者です。その他の11人は人気者が顔を揃えており、現・上方落語協会会長、桂三枝の名も見られます。先日、20年ぶりにこのLPレコードを聞きました。上方落語ブームの真っ只中、満員の会場の観客のほとばしる熱気と演者のやる気が伝わってきて、ついつい噺に引き込まれてしまい、気が付いてみるとあっという間に12席聞いてしまっていました。この「1080分落語会」をきっかけに上方落語協会はさらに発展の一途を辿るのです。

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③上方落語ブーム到来

 小学生の時、落語と出合った私は中学生になると益々その魅力に引かれていきました。おりしも、テレビ、ラジオでは若手落語家がもてはやされ、「仁鶴」「三枝」に代表される人気者が次々と登場して来たのもこの頃です。上方落語と言えば、お芝居や唄にもなっている伝説の爆笑王「初代・桂春団冶」が有名ですが、昭和の初期、上方落語は寄席でもかなり演じられ、落語家も相当いたようです。しかし、エンタツ、アチャコの「漫才」が寄席の中心になるとどんどん末席に追いやられ、落語家自体の数が少なくなりました。戦後は上方落語界の大黒柱であった大物噺家「五代目・笑福亭松鶴」や「二代目・桂春団冶」が立て続けにこの世を去ったこともあり、落語家が10人以下になってしまい、上方落語は滅びるかもしれないという深刻な事態に陥りました。そこで上方落語の灯を消してはならないと立ち上がったのが四天王と言われる「六代目・笑福亭松鶴」「桂米朝」「三代目・桂春団冶」「桂小文枝」です。この4人の活躍が現在の上方落語の基礎を築いたと言っても過言ではありません。私が中学3年生の昭和46年頃には、50人を抱える「上方落語協会」に発展していました。上方落語の復興がなったのです。

 

 

②落語との出合い

 父親が言うには「母方のお祖父さんはうたい(謡曲)が玄人はだしで、町内で婚礼があるといつも呼ばれていた」とのことです。独身の時、謡曲をプロの師匠に付き、習っていたらしいのです。その芸人の血が私にも流れているのかも?と言いますのは、小学生の頃から吉本新喜劇や松竹新喜劇ははもちろん、漫才などの演芸番組が大好きでした。落語も好きで、東京の噺家が今の「笑点」の大喜利のような形式で出演していた「お笑いタッグマッチ」や「末広珍芸シリーズ」というような番組を好んで見ていました。ここで初めて落語家なる者を知り、「噺家とはトンチを効かせたなぞかけや小咄をする人」というイメージを持ちました。一つの噺として最初に「落語は面白い」と感じたのは三遊亭歌奴(現・円歌)師匠の「j授業中」や「浪曲社長」を聞いてからだと思います。 円歌師匠とは何か縁があるのでしょうか。三十何年後に、この大師匠の前で私が落語を一席語る羽目になるとは夢にも思いませんでした。 

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 円歌師匠と  

①私の趣味

皆さんも趣味はおありかと存じますが、私の趣味は「写真撮影」と「落語」、「腹話術」です。写真は我流ですが中学生の時にコダックのコンパクトカメラを親からもらって以来の写歴です。落語は高校時代から、腹話術は37歳から始めて、16年になります。写真も大変面白いのですが、今回は落語と腹話術に関して書かせていただきます。 この二つの趣味が、私の人生を豊かにし、さまざまな人々との出会いを生んでくれました。連載という形で、私の子供時代から現在に至るまでの趣味とのかかわりをこの欄に掲載いたしますので、お付き合い下さい。次回は「落語との出合い」 についてです。                

日本催眠応用医学会で発表

先日、東京で行われた日本催眠応用医学会のセミナーで「笑いで元気に」という演題で発表を行いました。患者さんと歯科医の関係を良好に保つにはどうしたらよいか?患者側と歯科医側の両面から、30年の臨床経験で学んだ事をお話しさせていただきました。また、後半は趣味の腹話術も披露し、喜んでいただきました。

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