小学生の時、落語と出合った私は中学生になると益々その魅力に引かれていきました。おりしも、テレビ、ラジオでは若手落語家がもてはやされ、「仁鶴」「三枝」に代表される人気者が次々と登場して来たのもこの頃です。上方落語と言えば、お芝居や唄にもなっている伝説の爆笑王「初代・桂春団冶」が有名ですが、昭和の初期、上方落語は寄席でもかなり演じられ、落語家も相当いたようです。しかし、エンタツ、アチャコの「漫才」が寄席の中心になるとどんどん末席に追いやられ、落語家自体の数が少なくなりました。戦後は上方落語界の大黒柱であった大物噺家「五代目・笑福亭松鶴」や「二代目・桂春団冶」が立て続けにこの世を去ったこともあり、落語家が10人以下になってしまい、上方落語は滅びるかもしれないという深刻な事態に陥りました。そこで上方落語の灯を消してはならないと立ち上がったのが四天王と言われる「六代目・笑福亭松鶴」「桂米朝」「三代目・桂春団冶」「桂小文枝」です。この4人の活躍が現在の上方落語の基礎を築いたと言っても過言ではありません。私が中学3年生の昭和46年頃には、50人を抱える「上方落語協会」に発展していました。上方落語の復興がなったのです。